- 更新6/15,2008 -




逐語録の質的研究を始める前の事前研究について

葛西 俊治
(元・札幌学院大学心理学部臨床心理学科教授)



関連性評定に基づく質的分析はすでに示したように次のような手順で進めていきます。
  1. 逐語録などの主に言語的資料をカード化する。
  2. そうしたカード群を対象にして、カード間の関連性を評定する。
  3. まとまったカード群に、その内容を表すラベルを付与する。
  4. 関連性の強さに基づいてカード群の空間配置を行う。
 この手順はKJ法ゆかりの方法ですが、このようにして得た「カード群の空間配置」に基づいて、次のような分析を行うことになります。
  1. それぞれのカードが含まれているラベルに関する対応表を作成する。
  2. その対応表を「林の数量化理論V類」によって分析する。
  3. その対応表を「長田の形式概念解析」によって分析する。


 さて、こうした手順で関連性評定質的分析を進めていく訳ですが、ここで紹介しているアプローチに限らず、質的アプローチを採用する人達の中には不思議な 勘違いをしている場合があります。それは、たとえば、グラウンデッド・セオリーにしろ解釈学的現象学的分析といった方法にしろ、「そうした質的アプローチ を採 用さえすれば、逐語録を分析して何らかの意味のある研究ができる」と思いこんでいる場合です。たとえてみれば、そのあたりの土砂を採取してきただけなの に、それを精 錬すれば必ず金がとれると思いこんでいるのと同様の錯覚です。精錬することによって金がとれるためには、金が含まれている可能性の高い土地に行って、地質 的に金を含んでいると考えられる土や砂を採取してこなければなりません。つまり、中身のない逐語録、すなわち、研究テーマに即した事柄について的確な質問 をしてそれに対して適切な回答を得るということがなければ、得られた逐語録をどんなに優れた質的分析法によって分析してもそれほど意味のある研究にはなり 得ないということです。
 したがって、逐語録を質的分析によって解析しようとする際の基本的要点は、どんな分析法を用いるかの判断と同様かそれ以上に、分析に値いするだけの内容 のある逐語 録などの言語的資料をどのようにして獲 得してくるかにあるわけです。仮に半構造化面接などの場面で逐語録を得てくるのならば、聞き取りを行う面接そのものの質をどのように高めていくか ということが最重要課題となるわけです。このことを見落としてはいけません。

●テーマに即した、より的確な聞き取りを行うためのインタビューとは

 聞き取りやインタビューは、質問などをあらかじめ決めておいて、話が横道にそれないようにして行う「構造化面接」と、質問などをある程度は決めてあるけ れども、話の展開によってはある程度自由なやりとりを行う「半構造化面接」という形式があります。前者はインタビューと言うよりも、「アンケート調査」 「質問リスト面接」といったものとなります。それに対して、後者の半構造化面接は、基本的な質問から聞き取りを始めながらも、話の展開がオープンである 分、あらかじめ予測のできない話や話題 が出てくることを予期あるいは期待していて、そうした自由な展開の中から、テーマに関する重要で本質的な事柄を見出そうとするものです。

 さて、後者の半構造化的面接あるいは半構造化的インタビューを行うときには、さらに二通りのアプローチが考えられます。一つは、「無知状態でのインタ ビュー」、も う一つ は「事前研究に基づくインタビュー」です。
 無知状態でのインタビューとは、テーマについての事前調査や検討をほとんど行わないことを「是」とするインタビューで、「物事について何も知らない状 態」でインタビューすることに意味があるというものです。
 一つ例を出してみます。ゴルファーのタイガー・ウッヅが来日したときにのインタビューを例にとると、ゴルフのことを何も知らずウッズのこともほとんど知 らない若い女性インタビューワーが、「日本は初めてですか?」「お寿司は好きですか?」と尋ねてウッズが苦笑しながら答えていた…というシーンがありまし た。少し調べれば、ウッズが今回で来日何回目であるかとか、寿司はアメリカの大都市では普通に食べられて、ウッズが月に何回位寿司を食べているのかはある 程 度推測できる時代です。したがって、こうした無知インタビューは、相手が予測できないまでに脳天気な質問によって、相手の構えを崩すといったことから、笑 いが起きたりといったような意味はあるけれども、ウッズのことやウッズのゴルフ観などを知りたいファン達してみれば、どうでもよいつまらない質問であって 呆 れられることになります。

 こうした無知状態でのインタビューの対極にあるのが、徹底した事前リサーチに基づく「事前研究に基づくインタビュー」です。それは、重要な大会でのウッ ズの失敗 や奇跡的なショット、あるいはこれまでに書かれた様々なインタビュー記事などを調べ尽くしてから、相手と対面するインタビューのことです。これは、果たし 合いのような面談となります。実際、こうした方法で有名なインタビューワーとの対談の後、「真剣勝負のようなスリリングなインタビューだった」という感想 が出てきます。インタビューワーは事前調査で見抜いた様々なポイント、特に、本人が気がついていないような事柄に切り込んでくるわけですから当然の感想と いえるでしょう。「…あのときのショットは、実は以前の大会でも全く同じパターンで失敗していましたね」などと的確に事実をもって迫ってきたら、半端な答 えでお茶を濁すわけにはいかないことは明らかです。「…それはなかなか答えにくいです」などと答えたとしたら、「あなたは確か、200x年のインタビュー でもそうやってはぐらかしているので、やはり、あれは相当にショックなことだったといえるのでしょうね」などと畳みかけてくるのです。事前の調べた様々な 知識と理解を前提にして二の矢、三の矢と繰り出してくるので、最後には本音を語らざるを得ない状況を造り出しているのです。

 さて、面談は尋問ではないので、こうした言い方や迫り方が適切かどうかということは、状況に応じて考えておく必要がありますが、こうした「事前研究に基 づくイン タビュー」という方法を参考にすると、より適切なインタビューとはどうあるべきかについてのヒントが得られてきます。以下に箇条書きにしてみます。
  1. 研究テーマに関する事前調査をすること。
  2. 対談相手や関係する人々についての情報を集めること。
  3. 質問と回答についての問答内容を事前に想定して準備すること。
 研究論文では、論文の最初の部分にある「はじめに」とか「序論」というあたりで、先行研究についてまとめをしておくことが多いものです。これまでに行わ れた研究の内容と位置付け、さらにそうした研究から導かれる結論と未解決の問題についての見通しが行われるわけです。質的方法による研究の中には、敢えて 当事者に尋ねてみなくても分かるような事柄を、あたかも研究の成果のようにして示しているものもありますが、当事者や関係者に尋ねることによって何を明ら かにしようとしているのかを、研究者は明確にしておかなければなりません。状況の把握が目的だとして、平均的な状況を捉えようとしているのか、それとも特 異な状況を含んだ多様性を把握しようとしているのか。あるいは、状況の把握に続いて、そうした状況を説明し理解するために役に立つような「解釈モデル」を たてようとしているのか…等々です。

 さ て、ではこうした事前調査を実際の面談の場でどのように生かしていったらよいのでしょうか。テーマについての知識や理解に基づいて、どのようにして面談を 組み立て、実際の面談をどのように進めていったら良いのでしょうか。それはまず…


◆1.研究者自身が自分自身を対象にして
           「関連性評定質的分析」を行ってみ ることです。

「研究テーマについて自分が知っていること・思っていること・感じていること・想像していることや、先行研究の内容などを、自由に手短に書き出してみる」 ことによって得られた内容を、適宜、切り出してカード化する…ということによって、「関連性評定に基づく質的分析」のデータを作成することができます。

 つまり、自分自身を対象にしてまずは関連性評定質的分析をしてみるということを提案いたします。そうしてみると、テーマに関連する様々な要因や状 況などが浮かび上がってくるだけではなく、それと同時に、どういうことが問題なのかという問題の明確化も実現されてくるからです。
 
 カード化された自分自身の思いや知識などについては、すでに示したように、数量化V類による分析や長田の形式概念解析によって、自分自身の思いの構造に ついての 「要約モデル」の把握を行いますが、ここではその表示は省略します。いずれにしても、まず自分自身のその時点での理解や思いや知識などの構造を「関連性評 定質的分析」によって分析しておくわけです。
関 連性評定に基づく、カードの構造化図
数量化V類による次元構造の分析
形式概念解析によるラベル構造の分析

それができたら、次に実施することは…



◆2.想定回答とその理由に関するモデルを事前に作 成してみることです。

 アブダクションということ、すなわち、「仮説発想」とは、「今、Aであるが、それは何故なのだろうか」「かりにBだと考えるとAであることは納得でき る」 「したがって、Bなのだ」という推論形式を指します。このアブダクションという推論は意識されることもなく日常的に頻繁に用いられている推論でもありま す。「Bなのだ」という推論は、あくまでも可能性のある理由の一つを示しているのに過ぎないので、厳密にいえば論理的には誤りであるわけですが(「前件肯定の誤り」)、それなり に意味のある推 論が提出されていることが重要なのです。肯定的に確認されるにしろ否定されるのにし ても、何らかの仮説が提起されて初めて、そうした判定が可能となるからです。そうした研究過程を通じて、我々は研究テーマに関する理解を少しずつでも進め ていくことが期待できるわけです。

 さて、人は自分が質問をする際には、「こんなふうに尋ねたら、きっとこんなように答えるのではないだろうか」という小さな仮説を暗黙のうちにもっている ものです。そうした場面には次のような三つの項目が関わっています。
  1. 質問項目を用意する。
  2. 想定回答を考え出す。
  3. そうした回答がなされる理由を想像する。
 この内容は、質問と回答が「どのような状況や条件においてなのか」によって様々に異なるものとなるでしょう。したがって、状況や条件ごとに「場合分け」 を行った 上 での「質問」と、その際の「回答」と、そのような回答がなされる「理由」とは、事態の状況や条件によって相当に幅があることが予測されます。

 この段階において、研究者の力量のあるなしが明確になってきます。テーマについての実情をほとんど知らなければ、研究テーマそのものが実情 を把握するのにふさわしくないものになりがちです。研究テーマをどのように絞り込んでいけば、聞き取りによって適確な情報が得られるのかを見定めていかな くてはなりません。
 また、質問内容が面談相手の状況にふさわしくなければ、答える方もとまどうし回答内容もあまり信頼のおけないものになりかねません。そのため、研究テー マそれ自体はともかくとして、それを、ある特定の状況や状態にある面談相手にどのような言葉で尋ねていくのか、という細かな吟味が欠かせません。
 こうしたことを掘り下げていくために、「3.そうした回答がなされる理由を想像する」ということを実際に 進めていく必要があるわけです。 以下では、そうした「回答理由」に関わる事前の「推測モデル」の作成の仕方を解説していきます。
繰り返しておきますが、実際の被検者に面談する前に、自分自身が想定被検者として回答した内容についての「関連性評定質的分析」を行うことが一つ。その次 に行うのが、以下に示すように「回答理由についての推測モデル」を作ってみること、なのです。


●回答理由について推測をしてみる

 「質的研究方法について一言で言えばどんな印象なのか」というテーマについて、自分自身がそうした質問に対する回答を言葉にしてみたら、たとえば次のよ うな内容だったとします。(既 出のものを流用しています。あしからず)

 ・自分自身の発言(内言)

「えーと、一言で言えば難しいということかな。簡単ではないと思う。自分はどうもついていけないような感じです。 それでも、まあ、使えるといいなあとは思う。」「また、質的アプローチは実際に役に立つのかどうかもよく分からないです。有効性についてもどうなっている のか…。もちろん、それなりに有効なので使われているのでしょうし、意味があるから発展しているはずだとは思います。」「実際に習うべきなのかどうか悩み ます。」


 という内容を少し簡略してカード化したら下記のような8枚のカードとなったとします。

 ・「質的研究方法についての印象」という質問に対する想定回答の一例

     

 ・そうした回答が出てくる理由について推測
  
 すでに「関連性評定」によって、カードの空間配置が行われて いるとします。(下図)
さしあたりは、上位ラベルについてのみ、そのように答えた理由を推測すれば良いでしょ う。たとえば、下図の、「L21難しくてついていけない」「C4.使えるといいなあ」「L31習いたい反面もあるのだが」の三つについてのみ、 そうした 「回答を行う 理由」を列挙してみるわけです。

★自分自身が被検者としてこのように回答したとして、
関連性評定による空間配置図の例



 すなわち…。
  • 「L21難しくてついていけない」と回答した理由を推測してみる…
    1. 周りで使っている人もいるがよく分からない。
    2. 勉強しようとしたが良く分からなかった。
    3. 最初からさっぱりついていけなかった。
    4. 数量的な方法と違いすぎて分からなかった。
    5. 哲学的用語が出てきて戸惑ってしまった。
  • 「C4使えるといいなあ」と回答した理由を推測し てみる…
    1. 使っている人がいるので自分も使ってみたい。
    2. 統計的方法では扱うのが難しい領域なので試してみたい。
    3. 質的方法も知っていれば研究も進むと思う。
    4. 最近、はやっているので試してみたい。
    5. 質的方法で書かれた論文などを正しく理解したいので。

  • 「L31習いたい反面もあるが」と回 答した理由を推測してみる…
    1. 数量的な方法と違いすぎるので二の足を踏 む。
    2. もう新しいことに挑む状況や年令でもない かも。
    3. 時間的にも精神的にも全く余裕がないの で。
    4. 評価が定まっていないのでもう少し様子を 見たい。
    5. 分析に時間がかかる割には説 得力が低いよ うに思う。

 さて、三つの事柄「L21難しくてついていけない」「C4.使えるといいなあ」「L31習いたい反面もあるのだが」のそれぞれについて、たとえば上のよ うな理由が列挙されたとしましょう。こうした理由は、当然ながら、一人一人異なるものです。質的アプローチについて初心の人と、ある程度経験のある人とで は、回答内容も異なれば、そのように回答する理由もずいぶんと違うことが想像されます。いずれにしても、被検者の方に尋ねるまでもなく、ある程度の「理由 付け」はこうして把握することができるのです。

*こうした得られた「理由」について、それらをカード化して関連性評定を試みることは大事なことです。それによって、これらの「理由」の構造を把握できま すが、ここでは省略いたします。

●これから行う予定の自分の研究は、何を明らかにしようと しているのだろうか。
  1. テーマについて物事の状況を把握したい。
  2. テーマについて中心的で主要な内容を把握した い。
  3. テーマについて、特徴的で多様な内容を把握し たい。
  4. そうした内容となる理由や原因などを把握した い
 研究の最初の段階では、このから1〜3が一般的な方向といえます。これは、「関連性評定質的分析」による「要約モデル」によって把握することができるで しょ う。そして、次の段階、「4なぜそのようになっているのか」という理由や原因を把握したいという段階に進み出ることが考えられます。これは「解釈モデル」 の生成という研究へ進むことであり、研究としては次の段階へ向かうことになります。
 いずれにしても、これから自分が行おうとしている研究が、1〜4のどれとどれを目指しているのかを明確にしておくことが重要です。上の4項目を書き換え てみると次のようになります。
  1. 状況把握=「要約モデル」の生成
  2. 質的研究の第二〜四形式による「中心的傾向」の把握
  3. 質的研究の第二〜四形式による「被験者間差異」の把握
  4. 「解釈モデル」の生成
というように考えられるからです。さて、自分自身を被検者としてすでに「関連性評定」による発言内容の構造化が行われ、さらに、上位ラベル三個(L21, C4,L31,)に対する理由の推測を示してきたので、これから「4.解釈モデル」の生成に向かって、あらかじめ、「理由 の推測モデル」をたてて検討を加 えようとしているわけです。そして、こうした事前研究によって把握された理由や解釈に関連して、二つの大きな研究方針が明確となってくるのです。すなわ ち…
  1. 事前研究によって把握された「回答」の構造について、外的妥当性を確認したい。(第二形式および第三形式質的研究に よる)
  2. 事前研究によって把握された「回答」「回答理由」に基づいて「解釈モデル」を提起したい。(「解釈モデル」の生成)
  3. 事前研究によって把握された「回答」「回答理由」に基づくところの「解釈モデル」について、その外的妥当性を確認し たい。
  Tは「テーマについての状況・実態把握」という探索的な研究となり、その「要約モデル」を提起し、その外的妥当性の確認、が主な目的となるでしょ う。それに対してUでは、「要約モデル」の外的妥当性の確認に引き続き、そうした状況となっている、あるいはそうした状況になるに至る「原因・理由」 「事柄の推移関係」「対比関係」などに基づく「解釈モデル」を提起することが主な目的となるでしょう。そして、Vでは、可能ならばUに引き続き、「解釈モ デル」についての一定程度の外的妥当性の確 認を行うことが主な目的となるでしょう。

 事前研究とは、実際の研究を実り 豊かにするため、得られた貴重な聞き取りの機会とそこで話された内容を大事にしかつ有効に活用するために行うものです。仮に、実際の研究結果がこうした事 前研究で把握される程度のものであれば、被検者に聞き取りをするまでもなかったことにもなりかねません。
 面接・インタビューなどの場では、被検者となる方への聞き取りの意味、そうした関わり合いをもつことの意義を自覚して、質的研究の実を上げていくことが 望まれるのです。そのためには、ここに示したような事前研究によって、面談の場での質問や聞き取りをより的確で有効なものにしていきたいと思います。

(6/15,2008更新)