「関連性評定に基づく質的分析」サイト

 葛西 俊治
(元・札幌学院大学心理学部臨床心理学科教授)

 質的分析としてのKJ法についてのコメント 

★最近つくづくと感じることは、KJ法という言葉が一人歩きをしていて、川喜多二郎が本来意図していた内容とは相当に異なっているということです。『発想法』という本のタイトル、そしてその内容からも分かるように、KJ法は厳密な意味での分析法ではなく、様々な内容が入り交じった混沌としたカード記述の中に意味のある構造を見抜いていくための方法でした。

 今から40年ほど前、北海道忠類村でナウマン象の骨が見つかったことから、川喜多二郎が主催する移動大学が忠類村で開かれました(1971年)。私事ながら、移動大学そのものとKJ法に関心を持っていた私は、初々しい大学生として参加しました。120人ほどがテントに寝泊まりしながら、昼間はフィールドワークに出かけて自分のテーマに沿って聞き取りなどをしてきます。そうやって調べた内容を夜はテントの中でカード化してKJ法でまとめていく…という二週間の実習型イベントでした。
 そうした体験があることから、私はKJ法信奉者なのですが、その分、「KJ法を用いた…」という最近の質的研究の内容には疑問を持たざるを得ないことが多いのです。単に「何々という観点に基づいて、聞き取り内容を要約して分類した」と言えばよいだけのものに「KJ法を用いて分析を行った」と述べるのは、KJ法に対して二重に失礼な仕打ちのように感じます。
  • 「KJ法は分類方法ではない」
    KJ法におけるカードの集約は分類ではありません。これがKJ法の基本中の基本です。分類をするならば単に「分類した」とだけ述べて「KJ法を用いた」とは書くべきではありません。
    カードに書かれた言葉やキーワードに基づいて、そのキーワードを含むカードが集められてグループ化される…というのは、KJ法にとって最悪の事態です。
    分類はトップダウン的、あるいは自己の価値観に基づく投影的な集約方法ですが、KJ法はそうではありません。


  • 「KJ法は記述カード間に新たな構造を見抜くために行う」
    発想は創造的なプロセスです。カードに書かれた記述から必然的に導き出されるということではありません。よく分からないまま眺めているうちに、ふいにある見方や構造に「気がつく!」 というAha体験やユーリカ体験(Eureka)と関連しています。
    KJ法のこうしたあり方は、質的分析や質的心理学研究法の考え方とは明らかに食い違っています。その理由ははっきりしています。未知の文化を理解するときに「自分自身の文化や価値観に基づいて断定してはいけない」という文化人類学的な常識が根底にあるからです。こちら側の価値観ではすぐには見えない「不可解で不思議な風習」を理解するために必要な「新たな視点」に至ること…。これがKJ法の真骨頂といえます。
★さて翻ってKH法における「カードの集約」についてです。KH法におけるカードの集約の考え方は説明が難しいのですが、「分類ではないし、発想法でもない」と書くと分かりやすいかもしれません。
    KH法では
  1. 研究者の考え方やモデルに基づいて「分類するのではない」
  2. カード記述に基づいて「発想を飛躍させるのではない」

    1. つまり、トップダウン的に行う「分類」ではなく、「KJ法的な発想」でもない、ということになります。このように書くとまるで禅問答のようですが、実際は意外にも分かりやすいのです。
      すなわち、「書かれた内容が類似しているカードが次第に寄り集まる」 ということなのです。

      詳細はこちらをご覧下さい↓

      「関連性評定質的分析による逐語録研究 ― その基本的な考え方と分析の実際 ―」
      札幌学院大学人文学会紀要 第83号,61-100,2008 (pdfファイル)

★カード化された逐語録やアンケート内容は「書かれた内容が類似しているものが次第に寄り集まる」という、いわば自動詞的な過程で「似たカードが自然に寄り集まる」…。この過程の詳細は上の論文で確認してほしいと思いますが、もう少し分かりやすい説明を追加しておくことにします。

 例えば、あるテーマについて聞き取りをしたとします。ここでは、説明の都合上、複数の人にアンケート形式である質問について聞き取った内容をすべてカード化したとします。一人がカード10枚程度の記述をしたとして、10人の回答者がいればカード枚数は100枚程度になるわけです。
  1. 第1段階のカードの集約は、内容がほとんど同じが極めて類似しているものが集まるようにします。

  2. 第2段階のカードの集約は、第1段階でまとまったグループにはラベルをつけて、一枚のカードのようにみなし、それを含めて、内容がよく似たものが集まるようにします。

    *注意― ラベルは名詞や形容詞などが一語などではいけません。そうすると抽象度が高いために他のカードがどんどん吸い寄せられる危険性があるからです。短くても良いのでカード達の特徴を残した文章にします。

  3. 第3段階目くらいまでは、このように「内容がほとんど同じか、よく似ている」ものが集まってくるようにします。

  4. 第4段目や5段目など、これ以降は「類似性」のみでは集まってこなくなります。すでに似たものはだいたいグループの中に含まれているので、この段階まで来るとラベルの内容は互いに異なるものが多くなり、類似性という基準ではそれ以上進まなくなるものです。

  5. ここで、目の前に残っているカード(またはラベル)の内容をよく眺めます。そこに、研究テーマに関連して何か新たな「類似性」が見つかったならば、もう一段階、集約の段階を進めていきます。

    *注意― ここで、よく陥りがちなのが、例えばグループAのラベルとグループBのラベルについていえば、この二つの間に「AだからBだ」「BになるのはAだからだ」「Aの後にBになる」といったように、AとBについて、因果関係、推移関係、条件関係などの結びつきを安易に取り入れないことが重要です。
    KH法では数量化理論V類を用いて因子分析的な軸を見いだすわけですが、その際、「AだからBだ」といったような仕方でラベルAとBとを結びつけたカテゴリーがあると、「軸の解釈が難しくなる」ことが分かっています。つまり、軸の解釈を容易にするためには、ラベルによって集約されたカードやグループは基本的に「類似性」のみに基づいて集約されている方が良い―ということなのです。
     軸を得てから軸の解釈に進むわけですが、その後に「AだからBだ」といったような因果関係、推移関係、条件関係を「仮説」として提起すれば良いわけです。
 ○2年前くらいに投稿したKH法を用いた研究論文が、近々印刷される予定です。そこには、カード化の過程をそのままリストにして載せているので参考にしてもらいたいと思っています。
*美馬千秋・葛西俊治
「腕の立ち上げレッスンにおける身体心理的体験の構造― 関連性評定質的分析に基づく研究」ダンスセラピー研究、Vol.6,No.1, 17-28, 2012 (pdfファイル)
 
  *注意― なお、「カードの集約とラベル付け」は、その作業を終えた後には過剰に反省しないことが重要です。後から見直すといろいろと訂正したいことが出てきますが、そうしたやり直し作業は最低限に留めるようにします。それはなぜかと言うと、前日などに行った「集約作業」の間に、実はカードに書かれた内容を何度も眺めて考えているために、研究者側の理解と認識が毎回、深まっていくことに原因があります。
 次の日に見直しをすると、前日の作業の中で深まった新たな認識に基づいて、新たにカード内容とラベルを見てしまうために、「前日に行った自分のカード集約過程は何と未熟で不十分なのだろう…」ということになるからです。これを何度も繰り返して行う方法もありますが、一定の期間内にカード集約作業を終える場合は、集約作業を必要以上にやり直ししてしまわないようにする必要があります。

 
 
★KJ法では作成したKJ法図解などに「作成者の氏名・日付・場所」を記入しますが、「いつ行ったか」ということが大きな意味をもっていることをあらためて指摘しておきたいと思います。文化人類学は現場でのフィールド・ワークによって研究を進めます。現場での実践的な研究活動では、誰がいつどこでKJ法を行ったか…という「氏名・日付・場所」が重要となるわけです。一回の研究で「真理」に至るのではなく、時間的な制約や状況的な制約の中で、事実に基づいて研究を一歩ずつ進展させていくのです。  
     
  • 遺体を鳥に食べさせる、一見残酷な「鳥葬」はなぜ行われるのか? (川喜多二郎)
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  • 過去形と未来形のない言語を用いて、どうやって生活を組み立てているのか? (アメリカ・インディアンの一つ:言語相対性仮説の根拠となる一例)
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  • 糖尿病患者にはなぜ医師の指導に従わない非従順(ノン・コンプライアンス)な人たちがいるのか? (大鳥富美代,2007)
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  • 女性の透析患者たちには女性としての特徴的な事柄があるのではないか? (二本蝸謗q,2010)
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  • 「腕の立ち上げ」という身体心理的なレッスンにはどのような要素や効果があるのか? (印刷中)
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 こうした研究テーマを眺めて、「事実の集積と集約」という段階とそれに基づく「解釈」という段階とが必要であることを自覚して頂ければと思います。そして、「事実の集積と集約」にしても、様々な事態や対象者がいることから、一回の研究で絶対的な「真理」に至ることにはならず、その都度の「集約」に基づいて、数量化理論V類によって得られた軸を手がかりとして、より的確な「解釈」を行うこと…。これがKH法の位置づけといえます。
(10/6, 2012)


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