札幌ダンスセラピー研究会 2002
ダンスセラピーについて
5.人間性心理学そして「愛」ということ…
「ア・イ」という言葉はそれが意味する範囲はあまりにも広いのですが、ダンスセラピーに限らず、「癒し」「成長」「介助」などなどに関わる場合、「愛」という言葉は端的に次の意味だと思われます。
「愛…とは、弱い立場にいる者に対しての穏やかさと寛容」であると。
「非指示的療法」「来談者中心療法」という心理的カウンセリングによって、人間性心理学を創り上げたC.ロジャーズは、だからと言って、甘い・ベタベタした人ではありませんでした。
(1983年、C.ロジャーズによる日本でのワークショップでの体験)
カウンセリングのデモンストレーションでの態度は、どちらかというと、鋭く、強く、厳しい感じの人でした。しかし、それは「他者に対する厳しさ…」というよりも、「弱さに対する寛容さ」を実現するために、自らに課した「自分自身への厳しさ」だったように思われるのです。
ダンスセラピーという枠の中には、さまざまな身体的な技法やアプローチがありますが、心理療法としての「ダンスセラピー」は、そのような「技法」「アプローチ」「システム」を行使すれば効果が上がる…といった機械的なことであるはずはなく、セッションを指導する者の「器 うつわ」の大きさによって決定されるのではないか―そんな風に考えるのです。これは自戒を込めて…の発言です(^_^;。
そして、その「器 うつわ」とは、究極的には、「愛―弱さに対する寛容」ということに尽きるのではないかと思うのです。
別の項目に書いたのですが、「ダンス」によるセラピーなのに、「ダンスや踊りの動き方や振り付けなどを無理強いしない」のは、参加者に「覚えられなかったらどうしよう…」などと不安を与えないためでもありますが、それ以上に、ダンスや踊りや動き方の専門家としてダンスセラピーを行うあなた自身について、「動けない・踊れない・覚えられない・人前に立てない…等といった「当たり前の反応」やその意味での「弱さ」に対して、あなたはどこまで寛容でいられますか」という問いかけなのだと思います。
そして、その「寛容さ」は、「甘さ」ではなく、そのような「寛容さ」を自らの中に育み維持していくのだ、という静かな決意なのではないか…それがその人の「器の大きさ」となっていくのではないだろうか…そんな風に考えているのです。
ダンサーの方は自らの夢に向かって、凄まじい努力を積み重ねています。練習や生活のハードさには、しばしば胸が詰まりそうにもなります。食事・トレーニング・仕事・睡眠時間・筋肉痛…。
そうやって頑張ってきているダンサーの方に敬意を表するとともに、小さな声で少しささやいてみたいと思います。
「アナタは自分の弱さを捨ててしまった…でしょうか。
踊りのマシーンになるように、自分の中の弱さを踏みつぶしてしまった…でしょうか。」
ダンスが「セラピー」として立ち現れるとき、そこには必ず「人としての弱さ・脆弱さ」に対しての優しさがある…。私はそんなところから、ダンスセラピーを考えたいと思っています。
*無断転載禁止 2/19,2002改訂 (C)葛西俊治