シアトルに拠点をおく「パット・グラニー ダンスカンパニー」は、全米での公演活動のとともに、各地の女子刑務所において精力的にダンスセラピー的な活動を行い、再犯の防止に尽力してきています。
上の取消線の個所について、訂正と解説をしたいと思います。
パット・グラニーカンパニーのメンバーで、今回、パットの
通訳係も兼ねて来日中の小林彩子さんの指摘に伴うものです。
活動の結果として「再犯の防止」につながっているけれども、
そのことよりもアーティストが様々なコミュニティを訪れて活動する
アウトリーチ out-reach活動の一環という視点で書くべきだったのでした。
詳しくはこちらをご覧下さい↓
12.アウトリーチ活動としてのダンスセラピー |
葛西と竹内実花は、1999年、シアトルを訪問した際、縁あってシアトル近郊の女性刑務所(Women's Correction Center)で行われているパットさんの活動に参加し、舞踏のデモを行う機会がありました。
*詳細は日本ダンスセラピー協会ニュースレター
アメリカ女性刑務所でのButohダンスデモ(No.38, 1999)をご覧下さい。
その後、私は国内の少年院や刑務所などの矯正関係の場におけるダンスセラピー的アプローチの可能性を探っていましたが、今年、2002年の2月から3月にかけて、なんと、そのパットさんが日本にやってくることなりました。
日本訪問の一つの目的は、横浜にあるシアター「STスポット」が主催する「ダンス・創作ワークショップ」においてダンス創作の指導すること、もう一つは、国内の少年院などでダンスセラピー的なワークを指導し、日本でも同様な活動が可能かどうかを探ること…でした。
過去形で書いてしまったのですが、パットさんは今から数日後に来日して、活動を開始するところなのです(^_^;。3月2日、東京の「森下スタジオ」にて、「レクチャー: ダンスと社会を結ぶために」のタイトルで、アメリカの刑務所での活動を紹介することになっています。
パットさんのダンスカンパニーに所属し、今回、通訳係を兼ねて同行される小林彩子さん、そして、森田一踏、竹内実花がレクチャーに参加する予定になっています。なお、このほかにも数回、このテーマでのレクチャーやディスカッションが予定されています。(詳細はSTスポットまでお問い合わせ下さい)
バブルの頃、企業は世界中で絵画や土地やビルを買いあさり、そのおこぼれのように、「フィランソロピー(philanthropy): phil愛と authropy人類の合成で、博愛・慈善の意味」によって社会に寄与しようとしていましたし、「メセナ mecenat: 企業による芸術、文化への支援活動」として文化活動にも支援を始めていました。
その後、企業からの芸術活動などへの支援も先細り、慈善事業などで社会に貢献するなどの話題も遠い過去のもののようです。そういう意味でなかなかサポートが得られにくい芸術やアート、そしてパフォーミング・アートだったりするのです。
しかし、それはそれとして、「アートの中だけに閉じこもっている場合ではない」というのが、パットさんの活動が示していることだと感じるのです。
女子刑務所に収監されていた人の大半はアフリカ系の人達、残りが東洋系と南米系の人達だったのですが、彼女らの犯罪の原因はほとんどが「貧困」だと話していました。
"キーピング・ザ・フェイス Keeping the Faith"(信頼・信義を維持する…)という名称で、刑務所内部でダンスのレッスンを行い数ヶ月後に所内で発表会をする…という活動を行っていくパットさんのエネルギーには感服すると同時に、パットさんの活動が指し示している方向性「ダンスと社会を結ぶ…」には、今日的な意義があると痛感せざるを得ないのです。
今、日本社会は大きく変化しつつあります。一年前は異常・超絶!と思えたことが…事件であれ、社会的な変化であれ…次の年には普通のこととしてまかり通るほど、大きく波立っています。
数年前までは珍しかったりあまり目立たなかった事件…例えば、幼児児童の虐待、ストーカー(法の成立)、ドメスティック・バイオレンスへの社会的な対応、三万人を越えた自殺者と不況の影、高齢化・少子化、若者によるホームレスへの暴行…などをはじめ、いじめや不登校などの問題など。
ダンスなどのパフォーミング・アートがそのようなことに対して何か意味や効果があるのかないのか。
(踊っているときに邪悪であることは難しいので意味があると思うのです…)
あるいは、「アートはアートでよい」…ものなのかどうなのか―。
私自身もそのあたりに十全な確信がある訳ではないのですが、しかし、
例えば「ダンスセラピー」といったことをさしあたりの切り口として、踊りやダンスなどのパフォーミング・アートもつ社会的な意味での広がりを確かめること…。
「ダンスセラピー研究会」がそういうことのきっかけになればと願うものです。