日本ダンスセラピー協会(JADTA)ニュースレター No. 38,1999からの引用



投稿「アメリカ女子刑務所でのButohダンス・デモ」
 
 舞踏集団「偶 成天」代表 森田一踏
 
 アメリカ西海岸ワシントン州シアトル市にある小さなホール、North West Asian American
Theatre (Theatre Off Jackson)は、主にアジア系アメリカ人の舞踊・演劇・歌謡など芸術活動の場を提供しており、今年は さらにA-FESTと改称したイベントを展開することとなった。私が主宰する舞踏集団「偶成天」は、同ホールのビデオ・オーディションによって幸いにも海 外からの参加を許され、Butohダンス公演(5/15-16の二回)によってイベントに参加するべく札幌を飛び立った。
 
 シアトルでは、横浜STスポット・岡崎さんの紹介でステージ・マネージャなどをお願いすることになっていたK.Saikoさ んに迎えに来てい ただき、ホッとすると同時に翌日のテクニカルリハーサルからのスケジュールに気持ちを馳せていたところ、Saikoさんはふいに「…刑務所で踊れることに なりました」と宣言する。
 「…刑務所でボランティア活動をしているので、もしかすると踊れるかもしれません…」ということで、事前にパスポート番号な どを通知していた けれども、正直に言って、まさか!そういうことが実現するとは全く考えてもいなかった。 最近読んだ新聞記事のコラムに、日本の刑務所では「トイレは昼 食・休息中が原則であるが、指導に名を借りた許可制は良くない…」、「運動は、雑居房で他者の迷惑にならない範囲の首回し、腕回し、背伸びまで禁じるのは 相当ではない…」といった刑務所内での「動作要領…」が載っていて(日弁連が出している「拘禁二法案対策本部ニュース」に掲載)、拘束のひどさに呆れてい たけれど、日本からアメリカに踊りにやってきた者が、滞在二日目にアメリカの刑務所で踊る?!ということが、どうにも了解できない遠い話のように感じられ た。
 しかし、時差ボケ真っ最中のアメリカ3日目(5/12)、シアトルの南に位置するタコマ市近郊のワシントン州女子刑務所 [1]に一時間前後の ドライブで到着してしまった…。一画が鉄条網で囲まれていることを除けば、平屋の建物がのんびりと並んでいるだけであり、入所者用のロビーも空港のセキュ リティ・チェック・ゾーンのようにモダンで明るかった。
 
 女性舞踏家・竹内実花、横浜STスポットのスタッフ・山田祥子さん、そして私の三名は、Saikoさんの紹介で、そこで初め てPatさん (PatGraneyCompany主宰)[2]と10名ほどの活動メンバーと出会うことになった。刑務所の中で急に点呼が始まった…とのことで、しばし の待ち時間の間に活動内容を尋ねてみる…。
 活動は刑務所サイドの企画ではなく、ダンス・セラピー的な活動の必要性を行政側に訴えて認められ、ボランティア活動として刑 務所に入っている こと。毎年三ヶ月間、毎週一回刑務所を訪問して、一回2時間のプログラムを2セッション指導して、今年で5年目になったこと。また、活動費を捻出するため に様々な財団などに経費補助の申請を行い、数名の有給スタッフとボランティアのメンバーとで活動を続けているとのこと…だった。 活動の名前は "KeepingTheFaith"の略でKTFと呼んでいたが、これは「信義・誠実・約束…を履行・保つ」といったような意味になる。
 
 私たちのButohダンスは、15分のパフォーマンスを二回する…ということだったけれども、衣装やメーク道具の持ち込みは 不可とのことで、 白塗りなしを覚悟して、入所チェックの列にメンバーと一緒に並ぶ。 紙一枚持ち込んでもいけない、囚人に触れてはいけない、渡されたバッジは常に左胸の見 えるところに着けていること…。蛍光塗料のインクのスタンプ…目には見えないけれど特殊ランプの所では青白く浮き出る…を手の甲に押され「バッジと蛍光ス タンプがないと…出られない」と聞いて少しおののきながら、金属探知器を通って刑務所の内部へと進んでいく。
 
 何回か後ろのドアが閉まり、後ろのドアが閉まってから前のドアが開く…ということを繰り返して、鉄条網の柵を通り、いよいよ 刑務所内部にある 芝生の戸外へと進んでいく。曇りで少し霧雨のもと、刑務所の中は小さな公園に平屋の建物が数棟並んでいる…といった風情である。
 
 ドラッグ・デーリィングから殺人…といった罪状で収監されている若い女性からオバさんたちが同じ様な服装で散策したり、タバ コを吸いながらた たずんでいる。その中をメンバー達はニコニコしながら体育館のある建物へと入っていく。
 KTFの活動は、一回2時間のセッションの前後の時間を作文にあてていて、一本の鉛筆と一枚の紙を配り、hope, envy,hunger, passion…といったキーワードを一つずつ示し、その言葉について思い思いに作文を書き進める…。十名ほどのスタッフと30−40名ほどの参加者が教 室の中に適当に座を占めて作文を書き、メンバーは作文を読み上げたい人を誘っては文章を読み上げてもらう。みんなはそれを静かに、あるいはしばしば爆笑し たりしながら聞いている。スタッフも作文を書き、逆に参加者に勧められて読み上げたりもしている。私たちも「希望hope…」などについて考え考え、鉛筆 で紙に書きしるす音の中に参加していた。(時間が終わったところで、紙も鉛筆もその都度メンバーが回収していた)。
 
 オープンでのんびりとした雰囲気なのだが、教室の横の廊下には、でっぷりと太った男性看守がガラス窓越しに身じろぎもしない で見守っている。  アメリカ人はあまり笑顔を作らない…と思っていたのだが、実はそうではなく、文化や人種や宗教などが異なる者同士が相対するときには、本当に笑顔を「作 る」。ボランティアの人はそうやって「…敵ではない」ことをはっきりと相手に示しているので、頬骨の周りにできる筋肉の固まりは日本人と同様の「笑い団 子」状態だ。少し可笑しい。
 
 しかし、一見当然のように見える穏やかさだけれども、Patさん達によるこれまでの経験とそれによるノウ・ハウの蓄積という 地道な活動の成果 として、こういう「なごやか」な風景が維持されているように感じられた。ダンス・カンパニーを主宰してるPatさんとしては、多分、全ての時間をダンスに 費やしたいは思っているはずなのだが、みんなで一緒に作文…という導入方法、そして「キーピング・ザ・フェィス」という視点に辿り着いた経過を聞く暇はな かった。
 
 いずれにしても、参加している囚人の人たちは、この活動を本当に待ち望んでいるという。一つには、家庭の問題などで誰一人訪 ねてくる人がいな いとか、囚人同士ではなく、普通の当たり前の人たちと接触して社会の空気に触れることを焦がれている…ということもあるようだった。いずれにしても、和気 あいあいと穏やかに時間が過ぎていき、私にはその自然さが心地よかった。
 なお、出所後、この活動に賛同して協力している女性達がいる、と聞いた。このプログラムの中で良い体験をした人たちが活動の 意義を痛切に感じ ているに違いない。彼女達は、初心のボランティア・メンバーに刑務所事情を説明するなどして、活動がスムーズに行くように手助けしてくれているという。た だ、出所後一年間は法律によって入所することが出来ないらしく、現場での活動はその後で、ということだった。
 
 体育館では、KTFの参加者だけではなく、マシンを使ってボディ・ビルをしたり、ビリヤードをしたり、筋肉トレーニングして いる人たちなども いて、やや騒々しい中でダンスの時間が始まった。1回目のプログラムでは、エアロビ風の動きをみんなで楽しみながら踊る内容でSaikoさんが指導を受け 持っていた(参加者30名程)。それから数時間後の夕方に行われた2回目のセッション(40−50名、参加者は異なる)ではPatさんが指導し、マスゲー ムから群舞風の展開への練習…が主な内容だった。連なる波のような形をみんなで形作ったり、数名のグループに分かれて地面を踏むような踊りを練習したり… なかなかにバラエティがあり楽しそうな展開をしていった。全体としては、プログラムの最後の回あたりで行う発表会の準備でもあるようだが、お互いに触れ あったり一緒に動く…という要素を意識的に取り入れているように感じた。
 楽しそうな時間であったけれども、私はその後に控えている自分たちのButohデモに気を取られ、正直言ってレッスンに参加 するどころではな かった。体育館の床に寝ころんで身体ほぐしをしたり、必死に準備状態を作ろうとしていた。 今回のシアトルはデュオでの公演ということで、女性舞踏家と共 にシアトルにやって来た。
私もそうなのだが、彼女にしても、刑務所でButohを踊ることになるとは夢にも思ないことだったはずだ。これまでも、酔客を 含めてさまざまな ところでストリート・パフォーマンスや投げ銭での踊りなどを体験してきたが、これまででもっとも厳しい観客になるに違いないと二人とも感じていたのだ。
 
 音響の関係で、体育館ではなく、作文に使った教室で踊ることになった…。これまで、私は白塗りをしないで踊りの場に立ったこ とはない。白塗 り…を表現上の演出と考える人もいるようだが、元藤Y子(故土方巽夫人)が「…かつて…骨粉を塗った…」という話をひっそりとしてくれたことがあったのだ が、白塗りについては私も、日常の世界から日常ではないどこかの世界へと向かうための出で立ちの儀式…と考えている。
 
 Butohという踊りがいったいどういうものなのか…定義は難しいし定義を常にすり抜けるものがButohにはあるように思 う。しかし、一点 だけ譲れないことがあるとすれば、それは「本気」である…ということではないだろうか。演技でも演出でも作り物でもない「本気・誠実genuine, sincere」である何ものかがなければ、それはButohにはならないように思うのだ。
 
 そう思っている私には、だから、収監されている女性達の前でButohを踊るのは、命がけのことだった。踊りの内容そのもの は一年前にスト リートで踊った音と展開を用いることにしていたのだが、そういう出来合いのものを見せる…ということでは、収まりそうにない気配が部屋に充満していた。
 見ている人たちの目つきが違う…。静かなのだが、身体の奥深くまでも見据えてしまうような視線…。そういう何十本もの凄まじ い視線の中で踊る のだ…。
 
 私は身を整え、音と息とが私の中に訪れるのを待った…。
 大きな拍手だった…。踊りへのあまりの没入のために、一応決めていた踊りの展開はどこかでぶっ飛び、凄まじい勢いと流れの中 でただただ翻弄さ れていたような踊りだった。あとで相方にはそのことを静かに批判されたのだが、彼女は…彼女なりに無言の交流を観客と感じ合っていたようだった。
 

○女流舞踏家「竹内実花」の感想… 
彼女らの練習に私はまざっても大丈夫な気持ちというか
私はほとんど同化していました。特に彼女たちが
囚人だとは感じなかったし、ただ真剣にその場にたつことは
ありましたが彼女たちの色々な想いが踊らないときの方が
私には涙がこぼれそうになるほど痛いくらい辛く嬉しく悲しく
貫いていました。ですから、この身体を捧げて祈るというか
踊るには最適の場だと感じられました。ここで死んでいい…
もし、ここで彼女らが私を喰い殺したいと思ったならば
喰らってもらっていい…そして無意味に攻撃してくるのならば
私も容赦はしない…そして、それでいて私は彼女たちを愛していて
彼女たちも私を愛してくれていたと感じている…。
 
また自分を囚人であるという感じは私は持っていなくて
どちらかというと自分は神様の玩具ですね…。それは彼女たちも
何者かに翻弄されたり搾取されたり自ら落ちていったり
いろいろだと思うのですが、どういうわけか、「とらわれびと…」と
言う感じではなく、もしかしたら「とらわれること」によって
もしかしたら、その先にある自由を獲得しうる人達とも感じました。
 
私は幼い頃海を一人で眺めていた私と変わらない感じがしました。
幼かった私に私が問いかけたとき幼い私は相変わらず黙って
海を見つめ遥か彼方…それは異国なのか異界なのか…そんな
私にとって深いところの魂…。
そのことに彼女たちには残酷なほど優しかったのです。
まるで子供が子供と出会ったときのように…。
 
大人である私はただただ生きていてくれてありがとうと、そしてその幼き
自分と彼女たちに「こころ」で感謝してそして彼女たちに生きていて
そしてあらゆるモノからはいあがっていってほしい…と祈ったのです…。○
 (竹内実花BUTOH研究所主宰)
 
 二回のButohのデモ…。観客も異なり内容も結果的に異なったが、それぞれに大きな拍手をしてくれた囚人の人たちの優しさ と深さに私は感動 していた。半裸の身体に白塗りをして舞台をのたうち回るような踊り…。そういう踊りを私はなぜ踊り続けて来なければならなかったのか…。それはあまりにも 個人的なことなので差し控えさせていただくけれども、私自身がすでに或る「囚われびと」であること…その中で必死にもがき続けていること。そのことが Butohという踊りと結びついていること…。
 
 私は正直に無骨に、しかし、必死に場に存在していようとし、そして生ききることができたことを大きな拍手の嵐から感じること が出来た。 刑務 所の中にとらわれている人たちの眼前で踊ることによって、そういう自分自身であることを受け入れてもらい、優しくあやしてもらったような感覚に茫然とたた ずんでいた。静かな至福の時だった…。
 
 「私は2001年に出所したら、シアトル公演の会場の列のトップに並んで、最前列で
Butohを見るのだ…」とボランティアのメンバーにまくし立てている黒人女性の言葉が耳に届く…。「じゃー、2001年には 公演をしにシアト ルに来ないといけないね」。
「…私はKTFの活動に賛同していたけれど、今日からはButohに転向したいconversion…」。「Butohという ことを私がもっと 早くから知っていれば罪は犯さなかったかもしれない…」。様々な言葉が大声で、あるいは小さな声で飛び交ってくる…。
 黒人と白人がほぼ半数、東洋系の人が少々という構成…。「貧困が犯罪の最大の原因…」と説明してくれたSaikoさんの言葉 がふと思い出され た。マズシサのため…という言葉があらためて胸に響く。禁じられていたのに握手を求めてくる人が何人もいる…。ソッと握手を交わさせてもらう…。瞬きをし ない青い目で見ていた男性看守の一人が「踊り、良かったよ…」とつぶやいてくれた…。
 
 建物を抜け出て薄曇りの芝生へと歩き出る…。メンバーの人たちと鉄条網の柵をくぐり監視塔のある建物へと進んでいく…。その 一人がふと振りか えり、目を少し赤くしながら「あの人達があそこまで本気で向き合ったことはなかった…」と私に告げてくれる…。
 
 当局と渡り合い、無償のままこういう活動を継続してきたボランティアの人たちの背中を見つめながら、黙々と鉄柵の扉へと歩い ていく。そういう 人たちと一緒に扉をくぐり、後ろの扉が閉まり…。バッジを返し、手の甲の青い蛍光スタンプを確認してもらって、刑務所の入所受付からロビーに、ようやっと 戻ってきたのだった。
 メンバーの中の一番体格の大きな黒人系の人…ずーっと私たちに警戒気味に距離をとっていた女性が、近寄ってきて 「Itto!」と言いながら優 しいハグをしてくれた。看守の人がまだ金属探知器に入って良いと言わないうちに、私がさっさと入ってしまった時にきつい目で叱ってくれた人だった…。私た ちが今回そこで踊ることが出来たという、そういう状況に辿り着くまでに、KTFのスタッフの人たちはどれだけの苦労をしてきたのか…。そこにポッと立ち寄 り、自らの踊りを踊る場を与えてもらったことの意味…。私はボーっとしたまま、言葉を交わすいとまもなかったメンバーの一人一人に別れを告げる。メンバー はボランティアの活動から少しずつ自分自身に戻りながらロビーを出て、三々五々、車で去っていく…。
 
 運転していたSaikoさんが話してくれたこと…。「罪を犯して刑務所に入ってしまったけれど、そこで私はこういう Butohを見ることが出 来た。私は神に祝福されているIamblessedbyGod」…そう言っていた人がいたとのこと。私もまるで一緒に祝福されているかのように感じてしま い、目頭が熱くなっていった…。
 
 ダンス・セラピー…と呼ばれるものは、身体心理学や医学的な側面に限定されるのではなく、「たましい」や畏怖すべき何ものか といったようなト ランス・パーソナルな高み・深みへと分け入る方途でもあること。踊りが踊られる場に人々は身を置き、それを心身によって受けとるとき、踊りをまなざす人々 も「観客」という外在的な傍観者ではあり得ず[3]、踊り手をして何ものかを超えさせる力をもつこと…。そのとき、踊り手も踊りの場を支えている人々も、 共に「或ること」を「超える」…。もしかすると、そういう希有な機会が私たちのところに降り立ってくれたのかもしれない。
 
 

[1]Washington State Corrections Center for Women in Gig Harbor,Washington.
[2]パット・グラニーは、1988年、AmericanChoreographer's Award、また11年連続でChoreographyFellowshipを獲得するなどのダンス活動と共に、1990年に同カンパニーを創設。 1992年、"Keeping The Faith"プロジェクトを開始。1995年にはメキシコでの海外研究 Fellowshipを含む助成とダンス活動へのアウォードを得るとともにKTFプロジェクトを継続して今日に至る。今年はダンス公演「Tatoo」によ る全米ツアーと並行して、KTFプロジェクトを有効なモデルとして各コミューニティに広げるべく活動を展開中。プレス・リリースの抜粋から―
 
 Through an intensive workshop of writing, movement and performance skills,
Keeping The Faith provides a positive, creative and life-affirming program in which inmates are encouraged to explore the issues in their lives that keep them tied to the revolving door of the penal system.
 
 Pat Graney Company P.O. Box 20009, Seattle,WA 98102-1009, USA
 
[3]観客の心身と舞踏手のそれとを共振させていくこと―をButohダンスの目的としている。
(T.Kasai 1999 "A Butoh Dance Method for Psychosomatic Exploration", Memoir of Hokkaido Institute of Technology, No.27, 309-316)
 
*貴重な機会を与えて頂いたK.Saikoさん、PatGraney女史に心から感謝の意を表します。
*森田一踏は、葛西俊治(2004年4月から札幌学院大学人文学部臨床心理学科所属)の芸名です。


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