日本ダンスセラピー協会東京大会2001 8/11(土)・12(日)



ワークショップ「舞踏ダンスメソドに基づくセラピー」

葛西俊治 (北海道工業大学総合教育研究部)*1
竹内実花 (竹内実花BUTOH研究所主宰・「偶成天」所属舞踏家)

 ダンス・踊りを仮に三つに分けて、イ)身振りや型に−定の決まりがあるもの、ロ)音楽やリズムが決まっているも の、ハ)いずれの限定もないもの、として みると、舞踏ダンスはあらゆる心身の振り有様を許容する3番目のカテゴリーに入るものとなる。舞踏の創始者・土方巽が「舞踏とは必死に突っ立った死体であ る」と評したように、舞踏とは「動きや身振り」以上に「存在そのもの」に焦点を当てる「踊り」であるといえる。

 当初、「暗黒舞踏」と呼ばれた「舞踏」には、社会的通念から逸脱する要素が含まれ得るが、それは単なる「反…」にとどまらず、それによって心身の現状を 乗りこえようとする「心身の脱社会化de-socialization」の機縁を含んでいる。これは、一定の文化圏内に生まれ育ち、両親・兄弟姉妹・友人 などの「重要な他者significant others」によって心身に組み込まれ内在化された「社会」(S.フロイトによる「超自我」…)を再吟味する機能を合わせ持つものである。そして、様々 な「社会的規範」の中に取り込まれてしまった私という「からだ」から脱却し、再び自らのものへと回復・統合しようという試みを、セラピーとしての舞踏ダン スと呼んでいる。

 セラピーとしての舞踏ダンスメソドは「心身の探求・発見・成長」を目指すものである。その際、この目的を達成するためには、1)楽しむこと playfulness、2)安らぐことrelaxation、3)向き合うことconfrontationの二つの局面を踏まえるべきことを確認してき た。このことは竹内敏晴氏による「からだとことば」のレッスンの構成要素と類似するが、「本人による自発的な探求・発見・成長」が可能となるために必要な 基本的なプロセスだと考えられる。すなわち、「心身の探求・発見・成長」を目指す際、そのことを可能にするだけの心身のエネルギーは、多くは「楽しむこ と、安らぐこと」によってもたらされてくるため、「向き合うこと」への前段階として、心身の豊かさをどのように展開することができるかということである。 *2

 そして、それは次の挑戦のためへの準備状態を創り出し、時宜を得て次のプロセスに進み出ることによって、身体の脱社会化を含む舞踏ダンスの真価が発揮さ れてくる。

 舞踏ダンスメソドによるワークショップは次の要素を含む。
 
A)遊び楽しむこと―からだ遊び的なムーブメントやダンス
 純粋に身体的なものから、象徴的なレベルでのサイコドラマの要素を含む場合がある。

B)安らぐこと―からだゆるめ
 腕・脚・胸・頭・顔・顎等々の部位の緊張解放であるが、次のニつの要素をもつ。イ)身体の緊張部位への気づきと解放、ロ)解放による「完全リラクセイ ション」あるいは「心身のリセット」。後者によって、しばしば深いリラクセイションに至り、意識と無意識のはざまを体験をすることがある。*3

C)向き合うこと―非標準的な心身の発動(歪み、痙攣、チック、ジャーク…)
 ワークショップ<心身を探索する作業場>の中で、「あってはいけない動き・在り方」を生きてみようとする体験や身動き・身もだえそのものが「舞踏ダン ス」へと向かうものとなる。臨床心理学的な内的理解や知的理解ではなく、「今そのようにしてある私として生きてきた」自分自身を超えて存在の深み乃至高み において生き切ってみること、を究極の目的とする。
 

*1 葛西・竹内は、36th American Dance Therapy Association (Oct.11‐l4,2001 Raleigh, NC)において"Mind-Body Learning by Butoh Dance Method"の題にてワークショップ指導予定。

*2 精神科のディケアにて、毎週一回、ほぼ二年間「リラクセイション」「ダンスセラピー」を担当。その間、「楽しむこ と、安らぐこと」を参加者がたっぷりと体験することによって、さまざまな形での「小さな挑戦・向き合うこと」へと進み出ていくケースを体験してきた。

*3 呼吸のエクササイズを含み、深い意味での「トランス」から「超個的 transpersonal」な体験を射程とするものである。

*葛西俊治は2004年4月から札幌学院大学人文学部臨床心理学科 に所属。

ワーク風 景
寝転がっているのはADTAのSharon Chaiklinさん。

◆参加者による感想 by 吉成候子

「舞踏ダンスメソドに基づくダンスセラピー」

葛西先生のワークでは、体が知っているその人のペース にまず戻ることから始まるので、
自身の心地よいぺ−スを掴み、そこから意識の持っていき方、動きへと移行する過程で自分との対話、目分を感じることに繋がり、とてもすんなり無理なくやっ ていけました。

意識の持ち方で変化してくる体、そしてそれに伴う動きの変化、変化することで自分自身の新たな発見へ、また逆からアプローチして体が知っていることを発見 する等、部分的に焦点をあてることで体と心と意識の結ぴつきに気づかせ、統合へと向かう過程の意義深さを体験しました。
今回大会に出て実感したことがあります。それは私達日本人には私達に合ったスペース、表現方法、人との関わり合いとしてのコミューケーションがあるはずだ ということです。人に合わせるという慣習が出来 上がっている私達は、良くも悪くも非常に繊細であ り、人の気持を考えすぎる分、自分自身というものが おざなりになりがちだと常日頃感じます。そして、そ のことから生まれる抑圧、痛み、偽り、居心地の悪さ からついには自分自身さえわからなくなり、虚ろになり、自分の中の力強さ、喜びを見失ってしまうことが よくあります、そんな日常の生活の中で白分自身でい るため、またしいてはそれが安心感、喜びを通して最終 的には周囲と結びついていく、そのとっかかりとし てダンスセラピーが有効に人に働きかけうるのではと 考えています。
今後、私達にとって歪み、ひずみを発見し、変化さ せていく一手段としてダンスセラピーが広く活用され 得る為に、私達自身のペースを大事にし、まず私達自 身の手法で探っていけたらと思います。(吉成候子)

(JADTA News No.51, Page 18, 2001からの引用)


 [札幌ダンスセラピー研究所に戻る]