日本ダンスセラピー協会(JADTA)ニュースレター No. 37,1999からの引用
  

コラム「ダンス セラピーと私(8)」

  セラピーとしてのButohダンス・メソド
 
北海道工業大学教養部 葛西俊治
 
(暗黒舞踏集団「偶成天」主宰 森田一踏)

土方巽が創始した「暗黒舞踏」は近年、ただ「舞踏」あるいはButoh Danceと呼ばれているが、それは当初より心身のセラピー的要素を含んでいたといえるだろう。(舞踏の意味などは、それぞれの舞踏家・舞踏手によって相当に異なっている。以下の記述は、舞踏手・森田一踏としての見解である)例えば、著名な舞踏集団の「山海塾」のメンバーである岩下徹(日本ダンスセラピー 協会副会長)は長年、舞踏の心身レッスンを一つのセラピーとして、湖南病院において指導してきている。また、私がかつて所属していた舞踏集団「古舞族アルタイ」(小樽・万象館の小島一郎により主宰)も、かつて四国のとある精神病院からの要請を受け、彼地にて入院患者を対象に公演を打ったとも聞いた。「セラ ピーとしてのダンス」を考えるとき、それには実に様々な要素があるのだが、さしあたりは「身体心理学的ないし心身のセラピー的要素を含む身体運動・動作」という暫定的で抽象的な位置づけをしておくことにする。なお、ここで用いた「身体心理学」という言葉はアカデミックには未成立のものと思われるが、W.ライヒからA.ローエンのバイオエナジェティクス、あるいはゲシュタルト・セラピー、あるいはアレクサンダー・テクニックやフェルデンクライス・メソドなどにおける身体志向のセラピー技法を「身体心理学」的なものとみなすこともできるだろう。

私は1983年に竹内敏晴レッスンを体験し衝撃を受けた後、身体心理学的な方向に研究と実践を転換し、現在は舞踏集団を主宰しつつ森田一踏の名前でButohという踊りを踏んできているのだが、10年以上も舞踏活動を続けてきたのは、「身体心理学」なり「ダンスセラピー」なりを知的に位置づける以前に、実践と体験が必須であると判断したためである。ただ、それがなぜButohというジャンルであったのか…それは純粋に個人的な理由による…。あるとき、ダンスセラピーの大御所の一人が、いかにもおぞましげに「…舞踏は暗い…嫌だ…」という言葉を私に向けたことがひどく印象に残っている。「それは好みの問題」であると同時に、「かすかな光は闇の中でこそ見いだせる…」という私の思いは、口から出ることはなかった。

私の舞踏集団が公演した際、あるとき観客の一人が激しく泣き出し始めたことがあった。小さな会場だったこともあるが、その泣き方のあまりの激しさに周りの観客も迷惑だったと思うのだが、それはそれとして踊りは進み、公演は終わった。その後しばらくしてから、そのホールの担当者の人から、その泣き出した人は担当者の友人で、たまたま病院から遊びに来てあの公演の場に出くわしたこと…そして、「あの踊り…あれは私の世界だ…」という共感だったのか悲哀だったのか安堵だったのか…号泣してしまった…という事情を知らせてくれた。

そういうことは、実は、私たちの公演の時に再三起こってきたことだった。ほぼ漆黒の舞台上で半裸で白塗りの舞踏手が踊る踊りは、たぶん人間賛歌ではなく、そのように人として生まれ落ち生きていることの悲しみや呪詛だっり、石や草木の諦観と安らぎだったり祈りだったりしていたはずなのだ。しかし、それは私自身の個人的な理由によることであり、そのことを舞台という場において、人間ならぬものたちへとささげ・突きつけること…それが私が踊る動機であるから、私たちの踊りを見てなぜか涙した人には内心「ごめん…」と謝ると同時に、そうやって見届けてもらえたことに密かに安堵して、私自身、ひっそりと涙を流すことになる…。

今年の初め、Butohダンス・メソドに関する論文[3]をしたためることが出来た。その中で、Butohダンスを区分して、公演などのように観客の前で踊るButohダンスをレベル2、自らのためだけに踊るButohをレベル1、そして、心身の探索を目的として動き踊るButohをレベル0と呼んでおいたのだが、そのうちButohが「暗い」のは、このうちの主にレベル2と1に特徴的であって、心身の探索というレベル0においては、ただちに安らぎと輝きが得られるところもある。野口体操的に身体が緩み、あるいは身体がブラ上がると同時に腰と脚が地面にグランディング(grounding)すること、あるいは、深い呼吸へと誘われたとき、それはまさに「心身」の技法として心身両面へと作用することとなる。あるときはButohレベル1へのきっか けとなるような内面の暗がりが開かれたりすることもあるにしても、心身の深さ・豊かさを静かにかみしめたり、あるいは歓喜のあまり跳び上がったりすることが起きる。あるいは他者との肌と肉との触れ合い、抱き合い、あるいは軽い叩き合いの中で人の暖かさとつながりを感じてくることは、端的に明るさを導いてくるものである。そして、そういう心身の豊かさ・深さに関するButohレベル0の体験を積み重ねた後に、ふと、その人なりのButohDanceが立ち現れてくる…。そういう流れがあることを、自分なりに区分してみたかったのだ。

昨年、このような内容のButohダンス・メソドを、ロシアのサンクト・ペテルブルグ[1]、及び、ウクライナのリブネ、キエフ[2]で行われた心理学系の学会において発表し、参加者を対象にワークショップを指導する機会があった。野口体操から舞踏系の心身技法を含むButohダンスメソドは東欧を中心とした参加者にはもちろん初めての体験であったのだが、非常に好意的に受け入れられたのが嬉しかった。一つには、バレーなどのダンス訓練の素地はあるにしても、身体心理学的な方向性のものがほとんど流布していないこと、また、Butohダンスメソドが心身への誠実さとある種の「正しさ」を回復し創造する可能性を持つことが評価されたように思う。特に、経済的政治的に混乱を続けるロシア・東欧の現状を考えるならば、どこに生き方や生活の「正しさ」を見つけだすべきなのか…という精神的飢餓感も強く感じられた。もちろん、発表したButohダンスメソドやButoh Danceがそれへの王道ではないにしても、そのようなものを探求する際の実践方法の一つとなりうる…ということが意味深いことだったのかもしれない。

実際、Butohダンスメソドの基本は何か…と尋ねられた際に「究極的には、正直な心身を創ること」と答えたところ、憑き物が落ちたように鎮まったロシア青年の顔が印象に残っている。なお、「正直な心身」ということは、自らへの正直さ故に、しばしば「反社会的・非社会的」に映ったりすること、また同時に、心身にとって様々な防衛機制を緩める可能性をはらむゆえに、二重に「危険を犯すことrisk-taking」でもある。そして、そういうような場がこの世にはあり得るのだ…という認識そのものがある種の救いへと結びついていたのかもしれない。(このあたりは、竹内敏晴が著書の中で触れている、社会学者V.W.ターナーの概念における communitas…反構造とでも訳すのだろうか…と深い親和性がある)

Butohという場に身に置かざるを得なかった私の思いとして―。

…凄まじい孤絶の体験は、人との触れ合いによって癒されることがない…。これは、私自身が長年かかえてきた事実であり、どれほど深く人と関わってもその絶望はまるで次元の違うところに在る…と私は感じてきている。もちろん、人は互いに癒されうる。しかし、「ある次元においては」決して癒されることがないのだ…という事実(まだ仮説なのかもしれないが、体験上…)を踏まえてみようとするとき、このような思いが人と関わるときのある種の「誠実さ」を用意してくれることも知った。

人と関わりつつ心身が伸びやかになる時間は楽しい。まるで露天風呂の中でくつろぐように心地よい。しかし、その最中にも、あるいはその直後にも起きる不思議な深い溝は何なのか…。心の中の0.1%にも満たない小さな小さな溝に引き込まれてしまう私は、私自身の全く個人的なあり方として、Butohということ以外に居場所を見つけることが出来なかった。

私はButohということを少し悲観的に見過ぎているのかもしれないのだが、ダンスセラピーということがこの先どのようになるにしても、セラピーとしてのダンスにおいて、Butohダンスが占める割合は小さいだろうし、かつ、小さくなくてはいけないのであり、それと同時に絶対に見捨てられてはならない最後の何かを含んでいるに違いないと思っている。「医・療」というものが、近代化・現代化の中ですでに広範囲に治療工学、メディカル・エンジニアリングへと堕落しつつある今、心身の癒しへと向かうべきダンスセラピーも単なる技法の集積や、ややもすると「居心地の良さ」への志向をも秘めていると思うのだが、そういうときにも多分、Butohはその苦さによって孤塁を堅持することになると考えている。
 
[1]T.Kasai "A Pieceful Dimension Through Butoh Dance Method" (workshop) for 6th International Conference of Conflict Resolution, St.Petersburg, Russia, 1998
[2]T.Kasai "Congruence of Mind-body Through ButohDance Method"(a paper and workshop) for 4th International Seminar for Humanistic Psychology and Pedagogy, Rivne, Ukraine, 1998
[3]T.Kasai "A Butoh Dance Method for PsychosomaticExploration", Memoirs of Hokkaido Institute ofTechnology,Vol.27,309-316, 1999

*葛西俊治は2004年4月から札幌学院大学人文学部臨床心理学科 に所属。


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