日本ダンスセラピー協会 JADTAニュースレターから引用
 
JADTA News, No.52, pp.3-5,2001


 
アメリカにおける「闇」へのアプローチとButoh Dance

―アメリカダンスセラピー大会第36回大会に出席して―

 
          ・葛西俊治 (北海道工業大学総合教育研究部)
          ・竹内実花 (竹内実花BUTOH研究所主宰・「偶成天」所属舞踏家)
 

 9月11日、ニューヨークにとって、いやアメリカという国にとって想像を絶する事件が勃発した。イスラム原理主義のテロリス トにハイジャックされた旅客機が二機、ニューヨークの世界貿易センタービル、双子の高層ビルに突っ込み炎上、二棟とも猛烈な炎と煙とともに崩壊したのだっ た。そして、アメリカ国内及び日本からアメリカに向かう旅客機もすべて停止させられ、アメリカ宛郵便物も配達停止となってしまった。
 
 発表のために準備をしていた第36回アメリカダンスセラピー大会は、その日からちょうど一ヶ月後の開催予定であった。大会が 予定通り行われるのかどうかなどは、同学会のメール上でのやりとりが唯一の情報源となっていた。そこでは、事故の凄まじさや被害の状況、家族や同僚を失っ た人達に対してダンスセラピストとしてできること等などのやりとりが動揺と混乱の中で猛烈な勢いで飛びかっていた。
 
 同大会に先だってアメリカの二つの州にてButohDance Methodのワークショップとパフォーマンスを一年がかりで準備していた私たちにとって、事態はかなり深刻だった。イベント開催にはすでにたくさんの人 が関わっており、ここで休止となれば経費的負担や今後の信用上の問題などが生じかねなかった。しかし、アメリカの主催者側からは気丈にも「予定通り行いた い」という連絡が届き、ダンスセラピー学会の方にも「中止」の気配はなく、早々に覚悟を決めることとなった―「飛行機が飛ぶのだったら行きます」。
 
 アメリカ国内の厳戒態勢の空港では数時間の待ち時間に耐え、スーツケースの中身もすべて出されて調べられながらも、二つの州 でのButoh活動も何とか無事に乗り切ることができた。そして、開催地のRaleighに向かう早朝便の小型ジェット機にようやく乗り込むと、操縦士と 副操縦士しかいない小型機の操縦席からは次第に明るくなり朝焼けに変わっていく空が見えてくる―。
 
 その日の朝一番の発表は、Hiller Corinna というダンスセラピストによるワークショップ"Exploring our inner darkness: Butoh and dance therapy(内なる闇を探る:舞踏とダンスセラピー)"であり、何があっても参加するべく強行軍でやってきたのだった。Raleighに到着し、すで に始まっていた大会会場のレッスン場に荷物をもったまま転がり込んだ―。
 
 三時間近いレッスンの後、Corrinaさんと昼食をとりながらButohの話をする。<次々に非日常的なイメージを投げか け続ける>というレッスンについての疑問点を指摘する―例えば「言葉で与えられたイメージが体の中に定着してそこから何かが動き出すまでは時間がかかるか ら、言葉がけの間合いがあまりにも短すぎる…」、あるいは「般若心経を読むなど、仏教的なものとButohを結びつけるのはCorrinaさんの解釈だと 断るべきこと」などなど。しかし、私はアメリカの地でButohを自らのダンスセラピーに取り入れ実践している彼女の意気と力量とにすっかり感心していた のだった。ニューヨークの病院で例えばアル中の患者さんにButoh的なレッスンを実行して…という実践についての状況に耳を傾けつつ、表面的な「明る く…」といったアプローチでは通用しそうにないアル中の人達の群を想像しながら、また、悲しみと恐れと怒りにさいなまれている大惨事後のアメリカの人達に も、今こそ「暗黒」という言葉をかぶせられたButohという踊りの深さと割り切れなさが必要なのかもしれないと思っていた。逃避としての「明るさ」では なく、悲惨な事実に耐えながら歩んでいく出発点としての「闇・暗がり」の重みということを。
 
 大会は昨年同様、いくつものワークショッププログラムが同時並行する時間帯と全体での会議・ディスカッションから構成されて いた。日本からの参加者として発表予定の崎山ゆかりさんとは、互いのプログラムの会場に向かう途中で「やあ!」とすれ違ったきり、ようやくパーティで話し 合うことができた。テロ事件にもかかわらず日本からは三名が参加した…というのは、ヨーロッパなどからも欠席が多かったようなので、それなりの勢力だった に違いない。
 
 私たちのButoh Dance Methodのワークが始まった。時期的な理由と、時間的な事情から、「からだ遊び」と「リラクセイション」の部分は「とばします…」と英語で伝える。昨 年は、シアトル近郊の女性刑務所でダンスセラピー的活動も行っているサイコさんに通訳をお願いしたが、その後、これまでに数ヶ国、カナダ・アメリカでは 10回ほどのワーク指導を経て、拙い英語でも動作や仕草によって十分に意図を伝えられる自信があった。さらに、私の言葉の説明をもとに、共同発表者の竹内 実花は参加者の動作・姿勢に対応して的確に調整していくという連携によって、身体的な学習 (Body Learning)として展開できるようになっていた。
 
 レッスンは順調に進み、「対峙 confrontation―自らの抑圧されている感情・記憶・動きなどに触れて自らを解発していく」という段階に至った。振動(vibration)や 痙攣(tic)、ひきつり(jerk)などをさしあたりの入口として、自らの抑圧された何かに出会っていくというレッスンになった。昨年のシアトルでの 「白人のみ」だった参加者と比べると、東洋系の人、アフリカ系の人もいて、さらに、今年の参加者からは心身への参入の深さや高い集中力を感じとることがで きた。それは一ヶ月前のニューヨークでの惨劇のせいだったのか、あるいはちょうど勃発した炭疸菌テロによる恐怖のせいだったのか、あるいは東海岸の文化的 風土ということだったのか…。
 
 三十人近い参加者は寝転がるなどしながら、自らの「振動・痙攣・引きつり」―それらは、逆行する二つの力の衝突・対抗を意味 する―の中で自らの心身を体験しつつあった。一人の人は、しばらく痙攣が止まらず竹内実花がサポートに行く。大会でのワークは、セラピストとして否定的な 感情との対峙経験を豊かにもっているということを前提にしていたのだが、すでに駆け寄っている竹内実花共々確かめてみると、その人はコントロールを超えて 痙攣し続ける身体をそれなりに体験していたのが印象的だった。
 
 「他人にどう見られるか」とか「ワーク指導者にどう理解されるか」などよりも「自分のことを大事にする」という方向性の中 で、参加者は各々のギクシャクやビクンやピクピクの世界の中で格闘をしていた。その中で一人だけそのレッスンには参加しなかった人がいた。話し合いの時、 痙攣や引きつりなどの動きに抵抗があったというその人には「それで良いのです」とサポートする。
 
 「自分のことを大事にすること」「自らの身(自身)を貴重なものとしてそのまま受けとめること」。ButohDance Methodは、自己破壊などではあり得ず「からだとして自分は生きている」という素朴な事実に立ち返ることであり、その意味では、身体の過度の社会化の 過程で失われてしまった「正直なからだ」へと今一度遭遇することでもある。
 
 日常、自分ではしないような動きや仕草、さらに、怒りや悲しみや不安などの否定的な感情を伴いながちな「身もだえ」の動き は、当人にとってはしばしば驚くべき動きとなる。場合によっては恐怖や悲しみなどを誘発しうる。しかし、それでも、その動きの中に純粋に入り込めるなら ば、それ自体としては不快ではなく、心身の異世界を体験するきっかけとして新鮮でしばしば衝撃的な体験ともなる。事実、痙攣などの自動運動は、自律性解放 ないし活元運動としても知られているように、それ自体としては否定的なことではない。他者の「痙攣…」を目の当たりにして駆り立てられた想像や妄念ではな く、からだとして「体験する」ことの中にこそ確かな手応えの世界がある。
 「Stop!」と大声でプロセスを中断させ、今の時間とここの場所に戻ってくるように教示する。突然の休止に身体はとまどい つつも徐々に鎮まり、余韻をたたえて横たわっている参加者の間を私は静かに進みながらホーミー風の「のど音」を響かせる。どこか人間の丈を超えたような草 原の響きを聞いてもらうことによって、「対峙」の段階にまで挑んでくれた参加者を讃え感謝の気持ちを伝えたかった。
 
 2時間のワークを終え、深い瞑想から立ち返ってきたように鎮まった参加者達の身体と穏やかな時間の流れ…。誠実に自らを体験 した後、「来年もまた!」と口々に伝えてくれる参加者達…。Butoh Dance Methodということがあらためて受け入れられた貴重なワークとなり、私たちも新たなエネルギーを与えてもらうことができたのだった。
 
*葛西俊治 2004年4月から札幌学院大学人文学部臨床心理学科所属。


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